手段のため目的のため

 与えられるタスクをこなしていく内に突然やってきた喪失感、自分が何をしたいのかわからなくなった。さまざまな経験を通して細部に与える関わりというものの一方で、自分で習得し新しいものを作り広げていくという考えがなくなってきた気がする。一方ですべてがコトモノ化し均一化していく世界について書かれた本を読んで、タスクそのものもモノとして扱われているのではないかという疑問を持ち始めた。与えられたものをこなしていく内に自発的な"何かをやりたい"といった考えが飼いならされていっているような、不変を求めているような感覚が支配しているような気がした。自分はこれといったこだわりなく興味のある技術のみを手当たりしだい関われるだけ習得したい一方で長期的な展望やこだわりがない深みがないデータをただ吸収しているような感じもする。モノコトの移り変わりが激しい中で何か柱になるべきコアを選定する作業が必要な踏みとどまるべきなきもするが先を気にしても仕方ないのでまずは興味のあることを手当たり次第やるべきか。手段であれば他者との関係性も含め主体性が必要とされなく引き込まれることもある、目的であれば積極的に広めることこそが必要と思うが、そんなことを気にしても仕方がないのだろうか。