見え方のそれぞれ

創作物や絵はどうやって描かれているのか、作者の印象に残っったものなんじゃないかな的な話をしていて富士の絵について話していたときの話。

赤富士は一見するとありえそうにない色遣いをしているが、想像じゃなくて特定の条件において刷られたもので朝日が当たってそう見えるというのは調べたら理解できた。

富士を思い浮かべるとき、青に見えるたり、灰色に見えたり、視覚的に観察できる色に置き換えて、見えている情景を思い浮かべると思ったのだけど、人によっては観察対象を朝日は希望、夕暮れは達成感と変換することもできるらしいというのを知った。

自分の中でも赤富士のように山が赤であれば、コントラストを考え空は青に違いないと判断してしまうし、一方で木が生えていなければ岩の色だから灰色だという決めつけもわかる気がする。目は輝度に対して反応が強いらしいが、太陽の鮮やかな光に対して反射している色と月光のように多重反射?して映るほのかな色は確かに違うけど光の当たり方が違うだけと思うとそういう気もする。何かを受け取るとき変換され方はどうなっているのか不思議な気がした。

フィルタの色々

  • 単語を忘れないように個人的なメモ。

  処理を行う前に希望の信号処理を抽出するために必要。

  色々なフィルタを混同している。ノイズとシグナル。

 

  • アナログフィルタ: 1次、2次とフィルタを追加することができる。

  パッシブフィルタ:RCLなどの電源のいらない受動部品で構成されている。

  アクティブフィルタ:オペアンプなどの電源を必要とする部品で

         構成されている。パッシブフィルタに比べて減衰が急峻。

  ローパスフィルタ:低周波の信号だけを通過させる。

  ハイパスフィルタ:高周波の信号だけを通過させる。

  サレンキー型:ローパスフィルタとして使われる。PWMからDCへの変換

  バターワース型:平坦周波数帯域ではリプルがなく、除去帯域に向かってゼロに近づく。

  チェビチェフ型:

  IIR型フィルタ:無限インパルス応答。

        チェビチェフ、バターワース、ベッセルフィルタがある。

  • デジタルフィルタ:ADやDA周りで使われている。

  FIR型フィルタ:有限インパルス応答。

  CICフィルタ:

 

  • 画像処理

   ソーベルフィルタ:ガウシアンフィルタと輪郭を組み合わせたフィルタ。

   ガウシアンフィルタ:ガウス分布を用いて画素距離に対して重みをつける。

   ラプラシアンフィルタ:2次微分を利用して輪郭を取り出すフィルタ。

   ロバーツフィルタ:画像から斜め方向の輪郭を検出する。

   メディアンフィルタ:ランダムノイズ除去。

LVDS信号のメモ

  • どういうものか

   LVDSは画像信号などの転送に使われるデジタル差動信号の呼び名。

   映像信号の伝送手段における物理層の決まり。

  • 仕様

   データ線2つと同期信号の3線でデータを送信するようだ。

   データ線の先頭にインストラクション情報が入っていてその後にデータが続く。

   振幅とジッタとアイパターンで信号の品質を確保する。

   インピーダンスは100Ωにする必要がある。

   データの2本の線は等長配線にしないといけない。

  • 波形を見てみる

   LTspiceでは下記のようなSimになるみたい。

f:id:rhiro:20191229013110p:plain

LTspice

   電気的にはコモンモードノイズに対して差動で転送すると

   信号品質を確保できますよという意味だと思う。

  • 疑問

   誤検出した場合はどうするのだろう。

   同期信号に対して受信側のPLLの分周されたクロックが転送速度になる?

  • その他

   伝送対を増やすことでパイプラインのようにパラレルに転送もできるらしい。

   高画素化に対して新しい伝送方式への置き換えがずいぶん前から始まっている。

   符号化はされていない。

   直接関係ないがUSBやPCIExpressも差動信号、Etherで3値とる場合がある。

           https://ja.wikipedia.org/wiki/Low_voltage_differential_signaling

   https://www.macnica.co.jp/business/semiconductor/articles/intel/133393/

           https://ednjapan.com/edn/series/6243/

           https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1602/10/news024_2.html

           http://www.tij.co.jp/jp/lit/ug/jaja442/jaja442.pdf?HQS=dis-othe-null-tecinfo_201908070000-agg-pf-fje-jp

 

 

【日記】電気エンジニアが参加したruby kaigi 2019

 これは日記(駄文)です。福岡で開催されたruby kaigiに参加してみた。以前広島で行われたときは忙しく最終日4時間程度しか滞在できなかったので、4/19、20と2日間参加してじっくり話を聞くことができた。2,3日間ずっとMainHall(3F)の端っこの方に陣取り話を聞いていたのだけど(座りすぎて足痛かった。。)、個人的にはデータセンターのような大規模な先端プロセッサを使用した話よりも、業務上基板に搭載された小規模なマイコンに接する機会が多いので、mrubyやmruby/cのテーマについて話を聞けたのがよかった。メモリが少ないがためにmrubyを搭載する制約があると多く聞くことがあるので、製品化するハードウェア側から言い訳書いてみた。

 製品化するハードウェアというと制御、電源、センサ回路などそれぞれ特徴の違う回路を、信頼性や収納性、電気的安全度やコスト(部品のばらつき)を考えながら設計する必要がある。発売日が決まっており開発期間の限られた中、部品選定の段階から実績のある部品しか選べない状況だ。実際開発していた製品のマイコンのフラッシュは数10kバイト、産業用アームの制御でもatomなどの低スペックのプロセッサ、車載はArmを使っていると聞くがそれでもメモリは潤沢にないはずだと思う。

 今後IOTなどの通信機能を中心にした製品においてはメモリと処理速度が求められてくると思われる。でも割り込みや即時性を考えるとIO側で処理してしまうのではないだろうか。

 2日目夜mrubyのワークショップがありM5StackでLCDを制御したり開発を行った。短時間でもよい作品を作られている方がいてプロトタイプを作るにはよい言語だと思った。表現力のあるプロダクトはテンション上がる。

会議の資料があがっていたので後ほど確認しようと思う。

https://tech.drecom.co.jp/day2-presentation/

組み込みは割り込み重要なので探していたら参考になった。 

https://qiita.com/take_cheeze/items/ca774aa4c49ed532c2f4

 mruby/cについてわかりやすかった。まず手持ちのマイコンで試してみようかなと思うができていない。

https://magazine.rubyist.net/articles/0059/0059-original_mrubyc_iot_device.html

AfterHack参加してM5Stackでmruby開発したかったのだが、まだ買えてなかったので結局ラズパイ使っていた。IO周りを試したかったのだができず残念。LTでは人工衛星にmrubyが搭載されたとのことで非常に興味深かった。

手段のため目的のため

 与えられるタスクをこなしていく内に突然やってきた喪失感、自分が何をしたいのかわからなくなった。さまざまな経験を通して細部に与える関わりというものの一方で、自分で習得し新しいものを作り広げていくという考えがなくなってきた気がする。一方ですべてがコトモノ化し均一化していく世界について書かれた本を読んで、タスクそのものもモノとして扱われているのではないかという疑問を持ち始めた。与えられたものをこなしていく内に自発的な"何かをやりたい"といった考えが飼いならされていっているような、不変を求めているような感覚が支配しているような気がした。自分はこれといったこだわりなく興味のある技術のみを手当たりしだい関われるだけ習得したい一方で長期的な展望やこだわりがない深みがないデータをただ吸収しているような感じもする。モノコトの移り変わりが激しい中で何か柱になるべきコアを選定する作業が必要な踏みとどまるべきなきもするが先を気にしても仕方ないのでまずは興味のあることを手当たり次第やるべきか。手段であれば他者との関係性も含め主体性が必要とされなく引き込まれることもある、目的であれば積極的に広めることこそが必要と思うが、そんなことを気にしても仕方がないのだろうか。

進化倫理学という本を読んだ

 進化倫理学という学問があるらしい。人間は知性を持って論理的に判断しているように見えるが、一方で生物学的な根本的な存在を肯定するために利己的な判断をするような存在として位置づけられているらしい。そう考えてみると直感や親近感、嫌悪感といわれているものは遺伝的にハードコーティングされ細胞に書き込まれており、一方で自分たちが論理的に考えているものはソフトウェア的に処理しているように区別できるのではないかとふと思った。そして案外決まりや規範といったものに対して、自分の在り方や、つながり、関係性などで悩むこともあるが、そういったものも逆にこれまで獲得してきた生物として何世代にわたって伝承され蓄積されてきた情報と、自分が自覚し経験し獲得してきたソフト的な対立があって葛藤が生じるものなんじゃないかなと考えた。規範やルールには本質的普遍的な考えがあるという考えがある一方、生物学的には利己的な考えから必要性に迫られ獲得してきたという考えがあり興味深いなと思った。